第二校舎は冷えるから嫌

第二校舎は冷えるから嫌

 

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「ここ、動かしますかねぇ」
「いや、もうそこは私がやったから」
「じゃあ、動かしますね!」
「だから、やったってば」

 

 放課後。
 第二校舎の、工作室。
 私と杉街さんは、二人で作業を続けている。
 たまに授業で使う時はそうでもないのに、二人きりだからか、今は不気味なまでに広く感じられた。
 電灯は点けていないので、工作室は若干薄暗かったが、作業するのに支障はなかった。
 木の匂いがする。
 私と杉街さんは、挟んで向かい合う形で、「二枚目の展示板」を補修工作していた。
 私たちが所属する美術部が、来週開かれる学校の文化祭において、自分たちの作品を展示するために利用する、木製の自立するローラー付きの板だ。
 本来、美術部が文化祭に扱う展示板は一枚だった。
 しかし、先輩たちが揃ってかなり大きな作品を描いてしまったので、展示板のスペースが足りなくなったのだ。急遽、古ぼけた展示板を補修する形で使用することになった。
 私と杉街さんの二人の画を載せるための展示板なので、私たちが放課後にこしらえている、というわけだ。
 設計図や材料は用意されていたし、決して難しい作業ではなかったが、若干の時間と手間はかかる。
 時間がかかるのは構わないが、帰りに雨に振られたら嫌だな、と私は思っていた。

 

 ――私たちが現在行っている展示板の補修工作について、簡単に手順を説明しておきたい。
 まず、持ち出してきた古い型の展示板を、工作台の上に横にして載せる。
 足の金属製のローラーが錆びてほとんど動かなくなってしまっているので、これを新しいものと取り替えてやる。
 掃除をする。
 次に老朽化した支柱も取り替える。
 工作台から降ろす。
 前後の表面の壁紙を張り替えて、見かけを綺麗にする。
 「美術部 展示」などと印刷されている用紙を左右箇所に画鋲で留める。
 あとは展示エリア近くまで運んだりもするが、補修工作そのものについては以上の手順で完了する。
 支柱を取り替えるのが、やや厄介だった。

 

 第二校舎は確かに冷えるな、と私はこの学校に入学して以来初めて思った。
 私たちが今いるこの場所は、とりあえず『第二校舎』と定義されてはいるが、半世紀以上前に建てられた旧校舎の一部を解体せずに残し、授業の一部や部活動に転用している――という、やや微妙な立場の建築物だった。
 本来私たちが部室として使っている美術室は、第一校舎の三階に位置しているのだが、この工作室は一階にある。
 わざわざ私たちが工作室に来て作業しているのは、その利便性と、文化祭における美術部の展示エリアへの近さからだ。
 埃がかった壁掛け時計を見れば、午後六時半を過ぎていた。
 「第二校舎は冷えるから嫌」。
 それが生徒たちの定評だった。
 確かに、この部屋に満ちる空気には、独特の冷たさがあるように感じた。
 この旧校舎の一部は、新校舎の北側に存在し、かつ背丈が小さいために、陽光がほとんど当たらないのだ。老朽化が進んでいるために、隙間風がしばしば肌を撫でる。
 ふと、窓に視線を向ける。
 窓枠が切り取る空は、乱層雲の暗い色を湛えていた。雨が降るのかもしれない。
 半袖でいると鳥肌が立ちそうだった。
 昼間の授業中は汗ばむくらいの陽気だったのに。この五月は気温変化がやけに激しいな、と思った。

 

 ――立て直した展示板の前後に、新しい壁紙を糊付けしていく。
 私と杉街さんは、向き合う形で、黙々と作業を続けている。

 

 杉街さんは、小動物じみた顔立ちと、小柄な体格がマッチする女の子だった。
 あまり得意な相手ではなかった。
 同い年の一年生なのだが、何故か私を含む同級生に対して先輩相手のような敬語で話す。
 しばしば笑顔を浮かべていて、一見は可愛らしい。
 だが、そもそも何故笑っているのか、何を考えているのか、その肝心要の所が良くわからない。
 個人的には、杉街さんの笑顔を無機質なものに感じて、若干怖いな、と思う時がある。他の人に言ったことは、まだないけれど。
 性格についても、若干ピントがズレているような所があり、そこも可愛らしいといえば確かに可愛らしいのではあるが、そうでない不気味さを感じることも、私はあった。
 画はとても綺麗だった。
 私などにはとても真似できないような、彼女は繊細な画を描いた。

 

 もうすぐ作業も終わる。
 支柱の入れ替えに手間取ったが、後は説明用の紙を画鋲で留めるのみだ。
 画鋲はどこだっけ、と思いながら、工作室の出入口あたりの荷物を見ていると。
 しばらく黙っていた杉街さんが。
 通る声で、急に、独言のように言い放った。
「――意味、」
 放課後。
 第二校舎の、一階の工作室。
 あまりにも静かだったからか。
 その声は、とてもよく聞こえたのだ。
「意味、あるんですかねぇ、この作業って」
 言葉の後に。
 本来の沈黙が降りて、何故か、それが異様に思えた。
 私は振り返って、杉街さんの顔を見やる。
 彼女は、いつも通りの平然とした、目に見えない何かを楽しんでいるような面持ちで、小さな両手のひらで、ぺたぺたと展示板の壁紙に触れていた。
 私は視線を展示板に向けてから、杉街さんに答えた。
「意味は、あるでしょう」
 言いながら、なるべく声音を落ち着けようとしている自分に気がついた。
 その私自身に、恐ろしい予感のような嫌悪が沸いた。
 そして予感は的中した。

 

 あまりにも唐突だったので、対応できなかった。
 杉街さんは、展示板の隣をすたすたと歩いて、私の目の前に立って、
 何故か、普段のように浮かべている笑みがその顔から消えていて、
 急に私の肩と首の間を、両手で掴むと――。
「意味意味意味意味意味意味」
 おいおいおいおいおいおい。
「意味意味意味意味意味意味意味意味」
 ななななななな、何やってるんだおい。
 意味。
 その二文字を、大声で均一に繰り返しながら。
 同じリズムで、杉街さんは、私の肩を凄まじい勢いで揺らし始めたのだ。
 杉街さんの細腕とは思えないような、強い力だった。
 私の髪の先が滅茶苦茶に動き回り、私の頬や杉街さんの腕にまとわりつく。
 上半身全体が大きく揺さぶられて、肺呼吸がおかしくなりそうになる。
「意味意味意味意味意味意味意味意味意味意味」
 何やってるんだ、何を!
 私は声を上げようとしたが、大きな揺らぎのせいで、息をするのに精一杯だ。
 急速に振動する視界の中で、杉街さんの顔を見る。
 信じられないような無表情が、そこにあった。
 彼女の腕は異様なまでの力で、私の体を動かし続けていた。
「意味意味意味意味意味意味意味意味」
 やめろやめろやめろやめろ!
 まったく、冗談じゃない!
「意味意味意味意味いみ……」
 杉街さんの両手首をなんとか掴み、私から思い切り引き剥がした。
 ほぼ同時に、私を揺動させようとする彼女の手も、止まった。

 

 ――私の視界の中に、私の大きくない手でも簡単に一周できる細い手首と、箸を握ったこともないような杉街さんの白い手の肌が収まった。
 そこで改めて、得体の知れない恐ろしい何かを、私は実感した。
 当の杉街さんは、真正面から私を見つめている。
 小動物じみた顔立ちの、その薄い唇の端は、やはり上に歪んでいた。
 また、あの薄気味悪い笑みを始めていた。
 何、考えてるんだ。一体。
 訳の分からない肩揺らし攻撃の時間は、せいぜい三十秒にも満たなかったろう。
 それでも、私の心身をやたら消耗させたのは確かだった。
 呼吸が荒くなっていた。
 何かを、杉街さんに言い返そうと思った。
 しかし、果たしてそれが有効だろうか。
 声を出すのも、なんだか馬鹿馬鹿しくなってくる。
 彼女の手首から、手を離していいものか困った。杉街さんのことだ。また唐突に何かをしでかすんじゃないか、という危険性を私は直感的に把握していた。

 

 今は、別に冷えは感じない。
 乱層雲の暗い色が覆う日暮れ。
 第二校舎の、だだっ広く薄暗い工作室の端で。
 私たち二人は正面から向き合い、私が杉街さんの両の手首を掴むという状態で、視線を交わし合っていた。
 異様な沈黙の果てに。
 ふと、
 無機質な笑顔と丸っこい眼で、私をまっすぐ見据えながら。
 杉街さんは、私に訊いた。
「今のって、意味、ありました?」

 

 全身がぐったりするのを感じながら、私は、
「……なかったかなあ」
 と、答えた。

 (終)

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