開幕前

開幕前

 

 テクノロジーの進歩は、驚くべきほどの利便性をもたらしたっけ。
 こんなところでも、恩恵にあずかることができるんだもの。

 はい完成。
 楽屋に備え付けられた縦長の箱――汎用の外観翻案機は、可能な限りの速度において、中に入った私の姿を、まさしく頭から爪先までの衣装やら装飾やらから、メイクから髪のセットまでを――徹底的に、ネットワークに保存された情報をもとに、変貌させていった。
 姿見を前にして、私はふと「紳士の頬笑み」を作ってみる。
 うん、いつも通り、完璧だ。
 私はすっかり、「いかれた紳士」という、コントのためのキャラクターの姿になっていた。何もかもがちぐはぐな丈の、滑稽な色合いの服装。ぼけた緑色のレンズの片眼鏡、大昔の音楽家のようなヘアスタイルの上に、冗談のようにちっぽけなハット。
 トレードマークである紅い扇を、ぱちん、ぱちん、と左手の指だけで開閉させる。うん、いつもと同じ既成品だ。

 ――私たちがやりたいのって、こういうのだったっけ?

 

 私は、コンビの片割れだった。
 私とランちゃんは、いつも一緒。
 大学の演劇学科に入りたての頃に、偶然席が前と後ろで、すぐに意気投合したんだっけ。最初に盛り上がったのは、何の話題だっけかな。さっきまで行われていた演劇理論の授業の内容を、「通俗的に過ぎる」とか言って、笑ったんだっけ――。

 そんなことを、ぼんやり考えていると。
 他ならぬ私の相方、ランちゃんが楽屋に来た。
 普段通り、きらびやかそのものの自前の衣装を身にまとって。

 お互い、結構歳はとったけれど、今でもランちゃんはかなりの美人だ。対して私は太っちょだし、まあきれいではない。それでも、「外観翻案プロトコルの更新がほとんど必要ないんですよ~」とか、笑い話のネタにしたりすること程度はできる。

 

 ランちゃんは、
 ライト・コーティングされた艶やかな床を、すた、すた、と、せわしいように歩きながら。
 横目に、ちらり、と見る。
 先駆けて「いかれた紳士」の姿になっていた私を。
 視線が重なる。
 だから、私は、「紳士の頬笑み」で応じた。
 ――どうかな、完璧かなあ?
 ランちゃんは、無表情で通り過ぎる。
 そして、私は、「紳士の頬笑み」を止める。
 ――もちろん、完璧だよね。
 それが、いつもの光景だった。

 

 ランちゃんは楽屋を横切って、放るように鞄を置くと、無言でまっすぐ、外観翻案機へと入っていった。
 私はあまり好きな色合いではない、長いスカーフの端が、翻案機の中に消えた彼女を追って、ゆらりとたなびいた。

 かつての、困窮時代に。
 ランちゃんが、「一点だけの贅沢だからね」と愛用していた紫の柄のスカーフは、とっくの昔に棄てられて、はるかに高級なものと取り替えられて、それも今の彼女を埋めるように取り巻く、きらびやかな服飾品たちのひとつに過ぎなくなっていた。
 私は、あの紫のスカーフ、好きだったんだけどな。

 ランちゃんが入っている外観翻案機のささやかな音が、楽屋に響きわたった。
 ふと、彼女がテーブルに置いた鞄を見やる。
 また新しいブランドにしたんだね。
 お金は儲かったなあ、と思う。
 私たちの「紳士とオートマトン」の芸がヒットしてから、衣食住の何もかもが、あっという間に、劇的に改善されたんだっけ。
 ――それまでは、二人ではいくらなんでも手狭すぎるようなアパートの一室に無理やり住み込んで、それでも家賃の滞納で追い出されそうになるのもしばしばで。
 一体何度、大家さんに平手をついたっけ?
 大家さんが実は寛大なおじいさんで、とても助かったなあ。
 今はもう、この世にいないけれど。

 

 楽屋の壁の一面に投影されていた環境映像の端の時計が、視界に入った。
 午後六時三十七分、と表示されている。
 私は、思わず口の端を歪めて、笑った。

 二人で一生懸命、考え過ぎるほどに考えて、練習も繰り返した前衛演劇が、全然鳴かず飛ばずで。舞台を点々としていた頃。
 「ランちゃんのファン」を自称する厄介なおじさんを、対面した私が説得して留めている間に、ランちゃんがどこかから持ってきたポリバケツの汚水を二階のベランダからぶちまけた光景は、今でもこの瞳に焼き付いている。
 気が触れたような怒鳴り声。陽が落ちる前の、迷路のような裏路地を、二人でひたすら逃げまわったっけ。ランちゃんは走りながら、実に楽しそうに笑っていた。
 がむしゃらに逃げまくった挙句、私たちが公園の中で立ち止まって、大きく息をついて。
 ふと時計台を見上げたら、針が示していたのは午後六時三十七分だった。

 ……まったくどうして、今、こんなことを思い出しているんだろう、私は。
 それにしても、懐かしいなあ。

 

 思わず笑みを浮かべていると、外観翻案機による完璧なセットを終えていたランちゃんが、私の前に立っていて。
 私を、見ていた。
 疑問ですらない。
 感情の、まったく見えない視線で。

 

 ……お互い、歳はまあとったけれど、確かに私の目の前に立つ「愉快なオートマトン」の仮装をしたランちゃんは、裏路地で変なおじさんにバケツの汚水をぶちまけていた、あの頃のランちゃんと同一人物だった。同じ背丈だし、メイクの下は同じ顔をしているし、あとは、喋り方とか、なにかを観察する時に少しだけ顔を下げて上目遣いになるところとか、何よりお酒が好きなところとか、ひたすら男運が悪いところとか、他にも、他にもたくさん。

 ただ、こういう表情は、かつてのランちゃんは、していなかったかもしれない。
 もう、よく思い出せないけれど。

 ……大人になるって、こういうことなのかしら。
 なんちゃって、ねえ。

 ――ところで。
 私たちがやりたいのって、こういうのだったっけ?

 

 突如、重い音声のあつまりが、鼓膜を揺らして、私の心を弾ませた。
 期待を含んだ観客たちの声が、わずかにこの楽屋にまで響いてきたのだ。
 さあ、いよいよだ。
 開幕は近い。

 私は「いかれた紳士」で、ランちゃんは「愉快なオートマトン」。
 あっという間に、こんな姿になった。

 テクノロジーの進歩は、驚くべきほどの利便性をもたらしたっけ。
 こんなところでも、恩恵にあずかることができる。

 ありがたいことに。
 とにもかくにも、私たちの行う会話コメディ劇は、今でも市井の人々に大人気なのだ。
 明日も明後日も明々後日もやの明後日も、スケジュールはぎっしりと埋まっている。
 私たち二人は、予定された街という街をどんどん移動していき、お客さんにコントを見せる。その楽屋の外観翻案機で、「いかれた紳士」と「愉快なオートマトン」の仮装をして、いつも通りの内容の会話劇を披露する。お客さんは大受けで、沢山の料金が集まって、私たちはその一部を預金残高としてもらう。

 

 私は、「紳士の笑顔」を浮かべながら、斜め後ろの「オートマトン」のランちゃんに振り返る。

 ランちゃんは、
 まるで、死んだような表情で、
 本物の、おんぼろのオートマトンよりも生気のない瞳で。
 どこかのなにかを、見ている。
 ここにはない、なにかを。

 

 ……ねえ、ランちゃん。

 私たちがやりたいのって、こういうのだったっけ?

 (終)

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