ライヴシフト・トランスレイション

「ライヴシフト・トランスレイション」

DSCN7112

ハンドメイド・オートマトン・メイカーのルーメンス・ライヴシフトは、時折、奇妙な夢幻と遭遇する。
――ひたすらに無秩序で、限りなく無意味で、根拠も示唆も答えもない、幻と。

短編・SFノベル。


【主な登場人物/人形】

ルーメンス・ライヴシフト – ハンドメイド・オートマトン・メイカー。
オリオン – ルーメンスが構築したオートマトン。
三つ編みの少女 – ティアサイド・オートマトン・ミュージアムの入場者。


ライヴシフト・トランスレイション


1.


 わかっているのだ、このオートマトンがいかなる仕打ちを受けるか。
 わかっているのだ、このオートマトンに待ち受ける宿命を、結末を。



 日が明ける。
 日が暮れる。
 それでも、べつに、なにもない。



 ルーメンス・ライヴシフトが、ひどく古びた暗渠のようなレンタル・ガレージの端で、がちゃがちゃと騒々しい音を鳴らしながら、自らのハンドメイド・オートマトンの白い腹を開き、その内部機構をいじくりまわしている。
 彼は、それが、とても好きなはずなのに。
 煤と油と培養触媒に穢れた、その面持ちは。
 何故か、嘆かわしいような、
 何故か、困っているような、
 何故か――己が人生における致命的な過ちを、それが言わば浮遊するガスであるにもかかわらず、耐熱グローブに包まれた両手で、掴み取ろうとして、当然のごとくの失敗を繰り返しているような――奇怪なる悲嘆に、満ち満ちていた。
 彼は、それが、とても好きなはずなのに。
 好きだったはず、なのに。



 朝。
 白の擬似漆喰の壁に囲まれた、ひとつの部屋。
 ささやかな夢の残滓は、義務と責務と空腹から芽生えた、小さな突風の中に消え去って。
 落葉すべしともがく両の目をしばたたき、全身の自律神経系のあまねく叫びを大いに聞き取りながら、自己増殖的炭水化物と合成蛋白とモリー由来の脂肪分のPFC等間隔的塊にプラスティッキィ・フォークを刺し、黙念と口腔に放り入れる、あるいはルーメンス・ライヴシフトは、その味覚を背にしながら束の間に夢想してしまう――あるいは、蝶に紡がれた赤い糸、あるいは死の恩寵、幽かに灯るランタン、美麗なる海底の燐光、力尽きた旅人と灰色の大地、宗教的血痕、そして――奇妙なオブジェクトたちは半ば自動的に彼の表層意識に湧き上がり――。
 頭を振る。
 なにもかも、自動人形とは無関係なヴィジョン。
 突拍子もない夢想を始めてしまう――最近は特に。ルーメンス自身にさえ、自らのその意識の動きが疑問であり、不愉快でもあった。
 スポア系食物繊維と微小生物粉砕ミネラルと神経機能補完製剤を溶かしこんだ液体を、一挙に喉に流し込む。
 息をつく。口をぬぐう。時計を見る。
 部屋の小さな窓から、乾いた陽光が差し込んでいた。サンライト・ベージュのカーテンが僅かに揺れる。
 再び時計を見る。
 今日が、とっくに始まっている。ルーメンスス・ライヴシフトは粛々と立ち上がる。



 ルーメンス・ライヴシフトはオートマトン構築が生来から好きで、やはりティアサイド・オートマトン・ミュージアムにて開催される月例展覧会への出品を目前として、自らのハンドメイド・オートマトンを構築し、それを予定通りの完成へと向かわせつつあった。そして彼はオートマトン構築が生来から好きで、日々の余暇を落とし込みレンタル・ガレージにおけるそれに独りで精を出している。そして彼はオートマトン構築が生来から好きだったが、それを生業に落とし込めるほどの自負と才覚にはどうやら恵まれなかった。
 それにしても。
 果たして、彼はオートマトン構築が生来から好きだったのだろうか。
 本当に、そう言えるのだろうか。


2.


 数日後。
 「特異点における人類文明のオートマトンへの屈服」なる古典的に過ぎるテーマの演説をがなりたてる狂人を尻目に、ルーメンス・ライヴシフトはその歩みを緩めない。世の中には色々な、本当に色々な奴がいる。ミュージアムの一般入場者の群れの誰もが、狂人を完全に無視する形で各々の目的地へと進みゆく。それでも絶叫じみた主張を止める気配もない狂人の方向から、ルーメンスは巷に出回るラセミ化アンフェタミンを主成分とするグレイス・キャンディのストロベリー臭を僅かに嗅いでいた。くだらない。
 目眩を催すほどに広大なホール――ティアサイド・オートマトン・ミュージアム会場のすべての豪奢と喧騒が、歩むルーメンスを包み込んでいた。企業ブースは掘削用巨大オートマトンの実働展示を遂行し、都合四基のクレーン先端が強烈なシグナル・ライトを放ちティアサイド・ホールの一角を七色に照らし出す。自動人形系の人気歌手ユニットが、人類には発声不可能な音程を時に混ぜながら一度歌い上げさえすれば、集合した観衆の嬌声じみた歓声を欲しいがままにする。小柄な宇宙探査用の最新型オートマトンは環境カプセル内に構築された真空無重力空間における探査作業のシミュレーションに没頭し、その成否を親子連れに見守られている。遠いオートマトン競技ブースからは格闘戦のリアルタイム・ヴィジョンが上空に拡大映写されており、実況者の決死じみた叫びとそれを凌駕する客どもの唸りが響き渡ってくる。大昔のフィクション内のオートマトン由来の奇矯な格好をした一般客がルーメンスの隣を平然と通り過ぎ、どこかの売り子がどこかのブースのチラシを声高に叫びながら配り歩き、売店脇では学童連中が熱烈な議論を繰り返していた。どこを見てもお祭り騒ぎ。
 すべてはくだらない。
 それでも。
 ルーメンス・ライヴシフトが喧騒と雑踏の何もかもを足早に通りすぎて、目的のブースへと向かう途で。
 ――ふう。
 と、小さな溜息を吐いた。
 ある存在と、出会ったから。
 『蔦をその体に巻いた子象』と、出会ったから。

 盛況を極めるティアサイド・オートマトン・ミュージアムにおいても、ホール内の余剰スペースは存在する。
 どのブースもコーナーも敷設されておらず、また一般客たちの通路にも必然的に成り得ない場所。そうした地点には概して手持ち無沙汰になった客がたむろしているものだが、そうした中でも誰にも支配されていない、ホールの奥まった隅の、照明さえ陰るひとつの小空間――そこに、
 ルーメンス・ライヴシフトは、一匹の子象を見ていた。
 初めて、歩みを止める。
 横目に――しかし鋭い眼光で、ホールの陰に黙然と屹立している、場違いな野生生物を、彼は凝視している。
 子象は、ルーメンスの幻の尖兵であった。
 全高はルーメンスと同程度。くすんだグレイの体躯は、いつも何故か細長い蔦たちに絡まれている。
 身動きひとつせず、自慢の鼻も揺らさずに、ただ一対の黒瞳が、ルーメンスをじっと凝視している――どこか、哀しげな色を湛えて。
 ルーメンスは、眉をひそめていた。
 ――この「子象」は比較的出現度の高いものだったが、まさかこの場所で、この瞬間に現れるとは。

 ルーメンス・ライヴシフトは、時折、「幻」と彼が呼称している存在と遭遇する。
 彼はそれらを、自らの無意識上における一種の外的発散現象であると冷徹に把握している。幻は数時間から数ヶ月に一度の頻度で彼の前に現出した。いつ始まったのかは覚えていない。幼児期あるいは乳児期からであろう。それらが己の脳神経系が意図せぬ原因により造成したものであり、他者には認識され得ない幻像だという事実は常として理解し客観視もしていた。
 経験的に導き出したこの生理現象の一般的な経過は、まずルーメンスの意識が奇妙な方向に逸脱し、現状とは無関係な光景や物体が脳裏に浮かび始める。この初期過程は省略されることもある。続いて視覚的ヴィジョン――この世にあるはずもない幻像が、彼の認識する視界内に、唐突に出現する。それを放っておけば範囲領域が自動的に増大し、聴覚ほか別感覚にも訴え始めるようになる。
 蔦を巻いた子象は、典型的な「尖兵」だった。ルーメンスの認知する幻のスタート地点のひとつ。
 ルーメンスはごく自然に考える――このまま子象の存在を放置するならば、徐々にその周囲に「仲間」が増えてゆくに違いない。
 いつのまにか、像の辺りには異様に背の高い紫色のひまわりが聳え、燕に似た鳥たちが空中を飛び交い、風車を頭に生やしたアザラシがあくびをすれば、正十七面体のサイコロたちが転がり、巨大でふくよかな体を持つ雀蜂が舞い踊って、遠いさざ波の音色とともに、勝手に跳ね回るブロックの玩具が地に音を立て、綺羅びやかな青い蝶が視界を遮り、ペイズリーじみた何らかの紋様が延々と続く長い布のようなものが、ついにはルーメンスの体をまさぐり始めて――。
 ルーメンス自身の、少なくはないと自負する経験を通して、この生理的現象に関して彼が得た、ひとつの解釈が存在する。
 これは、何の答えも示唆していない。
 いかなるものにも繋がっていない。
 理由も、意味も、意義もない。
 それでも幻たちは、彼の前に現れる。
 視覚的、聴覚的、時には他の感覚的作用を伴いながら。
 幻たちは、出現こそ唐突ではあるが、ルーメンス自身に何かしらを強要する類の現象ではなかったのは幸いと言えた。また彼はその性質を心得ていた。故に、この現象によって大きな損害を被った経験もない。

 ティアサイド・ホールの、照明の当たらない隅で。
 いつまでも身動きせず、彼をひたすら見つめている一体の獣に向けて。
 消えろ、と念ずる。
 ルーメンス・ライヴシフトの視覚領域内において、蔦を巻いた子象の存在がふと透明度なる要素を増大させる――次の一呼吸後には、完全に消滅していた。
 ティアサイド・ホールの、誰にも見留められない陰の空間は、本来あるべき姿を取り戻した。
 ルーメンスは背を向けて、再び歩き出している。執着は一切存在しない。幻との遭遇とその潰滅は彼の日常の一部であり言わば呼吸のようなものだ。何らかの「異変」ですらない。
 ただ、
 ――ルーメンスは、ミュージアムに溢れる現実の雑踏を掻き分け、現実の映像看板を無視し、現実の騒音を聞き流しつつ、黙々と歩を進めながら、あてどもなく考える、理由はわからない、
 ただ、
 頻度が、増している。


3.


 他のすべてはくだらない。
 ハンドメイド・オートマトンのみがこの世の真価だ。
 ルーメンス・ライヴシフトはそのような価値観に則ってこれからを生きてきたし、これまでも生きるのであろう。そして言うまでもなく、その間隙の現在を生きている。
 はずなのに。



 ミュージアムの端に構えられた月例展覧会のブースは、会場中央部ほどの喧騒や熱気は感じられない――当然。ブースを囲うダーク・ブルーの防弾防音パネルにより、まずまずの静寂を構築することに成功しているのである。
 ティアサイド・オートマトン・ミュージアム内で、月例展覧会が開かれるのは珍しいことでない。
 展覧会とは、数々の『人形屋』が自発的意思で集い、各々の構築したハンドメイド・オートマトンを一同に介して交流する機会であった。
 会場の入口で、歩みを止める。
 ルーメンス・ライヴシフトの表情は変わらない。
 ただ、目立たぬように――ゆっくりと、大きく、呼吸する。
 肺の中の空気を、入れ替える。
 そこには、
 何もかもの色彩に、何もかもの光輝があった。
 すべてが満ち溢れていて、同時にすべてが喪失している、とも言えた。
 ルーメンス・ライヴシフトは、このような類の――ハンドメイド・オートマトンの展示会に訪問した時に、ようやく、自らの生きるこの世界における一種の安定性と固着性を認識し、また信じられるようになるのだった。

『お久しぶりです、ライヴシフト様』
 横手に図々しく現出し、彼の隣に浮遊する立体グラフィクス・オブジェクトを、ルーメンス・ライヴシフトはちらりと一瞥した。それで十分だった。
 半透明に描画調整されたこのグラフィクスは、このブースにおいて、オートマトンや関連する情報提示機能を執り行う梟型の模擬人格ヴィジョンであった。名前は何だったかな――どうでもいい。
 グラフィクスが何かを言いかけたが、ルーメンスは直後に音声で自動トーク機能をオフに設定する。
 その両の眼窩を彩っているのが、ヒト用の人工眼に替わっていることに気が付いて、ルーメンスはつい微笑した――馬鹿馬鹿しい。純粋なスタンディング・グラフィクス・オブジェクトに、人工眼設定とは。
 悠々とした足取りで、ルーメンスは会場を歩み始めた。

 ブースを歩き回る。見て回る。
 一定の距離を置いて飾られるのは、無数のユニークなオートマトンたち。
 時に近づき、時に語りかけ、時に触れて、その美術的達成度や、職人芸なシステムや、バラエティ溢れるアイディアに心底から敬服する。他の人形屋たちと、構築技術や理論についての会話を交わす。
 楽しい時間を満喫していた。
 ルーメンス・ライヴシフトは、気付こうとさえしてない。
 ある、恐るべき、偶発的直感――奇妙な違和の分子とでも言うべきものが、彼の精神に、徐々に、絶え間のない累積を続けており――それを他ならぬ自らが避けている事実に、彼は気付こうとさえしていない。

 展覧会ブースの端に、がらんどうのスペースがあった。
 暗黒色の保護用マットだけが、床に敷かれている。
 まるで、そこにいたはずの、一体のオートマトンが消えてしまったようにも見えた。
 ルーメンス・ライヴシフトは、情報提示型の梟型グラフィクスの方を仰ぎもせずに、抑揚のない口調で訊く。
「フランツ兄妹は、やはり来ていないのか」
 梟は、プログラムされた通りに――明々たる声音で回答した。
『彼らは、「もう飽きてしまった」そうです。ウェブ上の情報は見ていないのですか?』
「見た。現地で確認したかった。……本当に、いないのか」
 嘆かわしいことです、と言わんばかりに、梟は頭をゆっくり振った。
『フランツ兄妹はインスタント・メッセージをひとつのみ残して、ネットワークにおける他のすべての記録を消し去りました――あの類稀なるマトンの設計図案も含めて。財産を注ぎ込んで築き上げた、ハンドメイド・オートマトンを巻き込んだ今までの生活に「飽きてしまった」ので、「遠い場所」に移住手続きを進めている、とのこと。当然、オートマトンも出展されていません』
「知っている」
 フランツ兄妹とは、長い付き合いだった。展示会ではしばしば交流していた。ひどい変わり者の二人組だったが、ルーメンスなどより、遥かに素晴らしい精緻極まるハンドメイド・オートマトンを精力的に創り出していた。
 ――飽きてしまった、か。
 飽きてしまったのなら、仕方ないか。
 ルーメンスは、空のスペースに背を向けて歩き出した。

 数分後。
 良く似た、がらんどうの展示スペースを前に、ルーメンスは再び立ち止まった。
「マーシュビッツも、いないのか」
 梟が、ほんの少しの間を置いてから、淡々とした語調で答えた。
『他の参加者の音声情報を集積し、その内容からわたしが推測した結果ですが――彼は一種の宗教的模索の旅へと出発されたそうです。彼もまた、すべてのネットワークにおける活動記録を消滅させています。オートマトンは出展されていません』
「誰しも、最期はひとりで死ぬもの、か」
 梟は答えなかった。当然だ。それを解釈する頭脳さえこいつには用意されていない。
 ハロン・マーシュビッツは、燃え盛る炎のような男だった。彼のオートマトンには、その熱気がありありと反映されていた。ルーメンスは冗談のような労力が割かれたであろう彼の操るギミックを思い出した。丹念に造られたオートマトンに宿るらしい『魂』なるものを、握り拳を震わせながら語る青年――あの熱意は、一体どこからやってきたのだろうか? そしてその情熱は、今は――。
 ルーメンスは、ふたたび歩き出した。

 三度、新たながらんどうのスペースを前に、ルーメンスが、
「ミス・ハピネスは」
 梟は、やや訝しむような語調で、
『あの方は、半年前にメイキングをやめていますが』
「……どう、書いたんだったか」
『はい?』
「最後のメッセージ。ハンドメイド・オートマトンに関連付けられた、最後の」
 長くはない検索期間を置いてから、梟が、言った。
『――「結局はつたない遊び、わたしは夢の断片、意味のない拠り所にすがっていただけだった」……ですか? 彼女が関連するネットワーク上に残したのは、その一センテンスだけです』
 ルーメンス・ライヴシフトは、反応しない。
 是も否もなく、沈黙している。
 そんな彼を見かねてか、梟が、
『ところで、ミス・ハピネスは、現在ルナ環境における在宅育児の講座を開かれているのです。かなり好評のようですよ。ネットワークから閲覧されますか?』
「しない」
 ミス・ハピネス。顔なじみだ。高らかなソプラノで大いにハンドメイド理論を語る古風な服装の婦人。特有のウェットと慈愛に溢れる設計で有名な人形屋だった。
 ルーメンスは、がらんどうのスペースから歩み去った。

 数十分後。
 あるオートマトンの真正面に、ルーメンス・ライヴシフトは立っていた。既に梟のグラフィクス・オブジェクトは消去している。彼の姿を通して、展覧会の数多くの照明光源が、同数の影たちを床に染みつけている。
 その自動人形も、真正面から、ルーメンスを見つめている。
 ルーメンス自身の手による、ハンドメイド・オートマトンだった。
 体長は一メートル八八センチ。基礎体重は百十三キログラム及び状況により上下動。フレームワーク・デザインと基軸ソフトウェアには汎用ライセンスのものをベースとしているが、それでも完成に半年が掛かった。ボディカラーは白が基調で、全体として丸っこい体型である。関節を省いた腕の先にはケット・シー機構による吸着を可能とした柔らかな球形の手があり、四基のキャタピラが繊細かつ着実な移動を可能とする。顔立ちは丸い二つのカメラ・レンズの「目」があるだけというシンプルなもので、「左目」の下に備えられたひとつのシグナル・ライトと首の微妙な動作のみで感情を示す。
 優しい魔人、といった風情がある。
 性格設定もそのようにしている。
 名を、オリオンという。
 ルーメンスは、自分のオートマトンが大好きだった。
「調子はどうだ」と、彼は語りかけた。
 ――ちか、ちか、と。
 オリオンの左目の下の光点が輝き、作り手であり主人でもあるルーメンスの存在を、白色のオートマトンは認めた。
 悪くは、ないようだな。
 ルーメンス・ライヴシフトは、見慣れたシグナルの示す意味を認識し、
 ふと、
 革靴の先の底を、床にターンさせて、
 月例展示会のすべてを、静かに、くるりと、見渡した。

 ティアサイド・ホールの隅に設置されたブース――ここには、大勢のオートマトンたちと、人形屋たちがいた。
 幸せな場所だった――数え切れるはずもないほどの、精密さや、美しさや、熱意や、アイデアや、自慢や、暖かみや、力や、愛情や、向こう見ずさや、簡単な間違いや、ひらめきが――その他の、沢山のものがあった。
 沢山の、思いがあった。
 だが、諦念はないようだった。
 諦念を抱く者など、必要ないようだった。

 言われるまでもなく。
 言われるまでもなく、ルーメンス・ライヴシフトは、他の誰よりも理解している――自分は、自分のオートマトンには、フランツ兄妹ほどの精巧さも、マーシュビッツほどの勢いも、ミス・ハピネスほどの愛情もない。残念なことに。
 そこが、ルーメンスの限界だった。

 彼は、自らの限界をよく理解していた。

 自分のオートマトンが大好きだった。
 だから、この場を立ち去ってしまいたかった。

4.


 ――突如、視界の外から飛び込んできた小さな二足歩行の体が、ルーメンスの白い自動人形・オリオンにすがりつくように、その丸い手を掴んだ。
「わぁーっ、この子、かわいい!」
 黒い防塵マットの上でぴょんぴょんと跳ねているのは、せいぜい背丈がオリオンの半分程度の少女だった。九、十歳ほどに見える。流行のエメラルド・グリーンのセーターに白い装飾ボタンが目立つ擬似デニム生地のキュロット。少女がジャンプする度にブロンドの三つ編みが揺れた。
 「かわいい、かわいい」とまるで呪いのように繰り返しながら、オリオンの大きな手を小さな手で取って、その無表情を見上げている。
 満面の笑みが、こぼれていた。
 オリオンは白いでっぷりした体躯を巧みに動かして、少女に、ちか、ちか、とシグナル・ライトでサインを送り、可動領域の大きくはない首を頷かせて感情を表現した。
 握手では物足りなくなったのか、少女は「んー……」と唸って、オリオンの硬質のボディに抱き付いた。後ろにまとめている前髪の残りがぴょんと跳ねる。
 しばらくオリオンを抱いていた後に、少女は首を巡らせて、ルーメンスを見た。
「この子、おじさんが造ったの?」
 ルーメンスは、意外な来訪者を前に、小さく頷いた。
「ああ」
「すごい! この子、かわいいね! 変わってる! お名前は!?」
「オリオン」
「かっこいい!」
 かつてはルーメンスもこの名称を気に入っていたが、今では少しだけ後悔していた――二ヶ月前に、オリオン座方面の観測基地で『干渉』が発生し、防宙領域が拡張されたという記事を目にしてから。自らのオートマトンに、血なまぐさいイメージなど付けたくはなかった。
 時事など退いて、少女はその名を好んだらしく、何度も、オリオン、オリオン、と白色のオートマトンに名前を告げている。何かを、語りかけている。
 オリオンは、左目の下のシグナル・ライトを点滅させて、少女に頷いていた。
 ――それにしても、子どもが単独で展示会に来るとは、珍しい。
 恐らく、ティアサイド・ミュージアムそのものの一般客だろう。児童用の学習ブースや企業展示を散策している内に月例展覧会に迷い込み、出会った風変わりなハンドメイド・オートマトンたちと触れ合っている――と、ルーメンスは推測した。
 もう一度、思い切りのハグをして、体を離しながら、三つ編みの少女は自動人形・オリオンに手のひらを振った。
「オリオン、いいんだよ、うん。ありがとう……じゃあね、またね!」
 そこで、手を止めて。
 少女はきょとんとした顔で、ルーメンスを仰いだ。
 自らも気づかぬままに、彼は笑い出していた。
 少女が、黙念と見つめている。
 ――どうして、笑うの、とでも言いたげに。
「話が、できるのか」
「えっ……」
「オリオンと、言葉で話ができるのか」
 少女は、うん、と楽しげに、無邪気に頷いて、
「もちろん、できるよ! おじさんも、もちろん、できるでしょ?」
 曖昧な微笑で、ルーメンスは返答した。
 ――オリオンに、一切の言語対話機能は備わっていない。制作者のルーメンスが基幹ソフトウェアの奥底まで弄っているのだから間違いない。音声発話は勿論のこと、「言いたいこと」を言語として処理する能力すら、オリオンは有していない。
 まさしく、人形遊びか。
 子どもらしい想像力に、つい笑ってしまったのだ。
 少女に、さよならを告げようとした。
 口をすぼめて、彼女は独り言を放っていた。
「あーあっ、だから『コントラスト・セブン』の演奏なんかより、ハンドメイドの展示会の方が楽しいと思うって言ったのになあ。ミックったら、どうしてああかなあ」
 ぶつぶつ言いながら、まるで踊るような歩調で、三つ編みの少女は近づいていった。
 オリオンの右隣のスペースに展示された、一体のオートマトンへと。
「ねえ、ペリィ?」
 その、青く背の低いオートマトンの顎と思しき箇所を、指先で撫でながら。
 ルーメンスの方に顔を向けて、少女はやや自慢気に、言い放った。
「この子はね、ハイペリオン。わたしは、ペリィって呼んでる。かわいいから」
 ――ぐっと背を伸ばして、悪戯っぽくウインクして。
「わたしと、同じクラスの鼻ったらしのミックと、ジュール先生が、一緒に、造ったの。わたしもね、造ったんだよ。すごいでしょう?」

 ルーメンス・ライヴシフトは、その細かい挙動を観察しながら、オリオンの隣に展示されている、青緑色のハンドメイド・オートマトンに歩み寄った。
 四足歩行の獣型が、ルーメンスの接近を認識してゆっくりと体を向け、尾を立てる――モチーフはトラかヒョウか。大型ネコ科動物のいかつい顔立ちが、ルーメンスに静かな凝視を注ぐ。
 カラーリングやデザインは野生の気配を思わせるが、頭部から尻尾の先に至るまでの、外装のメカニカル・コンポーネント的装飾からは相反する意匠が感じられた――ギア、バネ、ゼンマイ、ネジ、ナット、シャフト。すべてが、このオートマトンの動作には無関係で無意味な装飾だ。大昔の「機械仕掛け」への、ある種の憧憬。
 側面に、少女のものと思しきひどい筆致で、大きく「PERRy(ハート・マーク)」とスプレー・タギングされている。
「面白いな」と、ルーメンスは呟いた。
 でしょ、でしょ!と三つ編みの少女は高らかに同意する。笑顔が弾けて、瞳をきらきらと輝かせていた。
 実際のところルーメンスが面白いと感じたのは、彼がこのような型の汎用ライセンスの基礎構築セットを知らないという事実だった。
 すなわち、このオートマトン・ハイペリオンは、最初期の段階から構築した、純然たるオリジナル・ハンドメイドなのだ。
 少女は、ハイペリオンの隣で自らの腰に手を当てて、キャラクターの描かれたスニーカーをつま先立ちにした姿勢で、ルーメンスを見上げている。ふふん、と鼻を鳴らさんばかりだった。
 ルーメンスは、表情を崩さない。
 少女と同級生だけでこのオートマトンを造ったのであれば、紛うことなく彼女は天才的と断言できる。だが、どうやら真相は異なるようだ。彼女が言及した「ジュール先生」とやらが一枚噛んでいるのだろう――とルーメンスは推測した。ここまで精巧なシステムを一から構築するのは、大の大人でも困難を極める。オートマトン工学をかじった教育者なのだろう。恐らく算数か理科か情報工学担当の。
 周囲を軽く仰いで、少女に尋ねる。
「先生は、ここにはいないのか」
「いないよ。ミックと一緒に、あっちの『コントラスト・セブン』のコンサートに行ってる。展示会の方が楽しいって言ったのに! ひとりぼっちのペリィがかわいそうだよ! ねえ、ペリィ?」
 少女は、自分たちが構築した自動人形・ハイペリオンに向けて、いたわるような語調を用いながら、何らかの小声での対話を開始した。
 ルーメンスの見たところ、この青緑色のヒョウにも言語機能は備わっていないにもかかわらず、やはり少女は「人形遊び」を続けていた。

 ――それにしても、オリジナル・スタイルは、「先生」にも険しい課題だったらしい、とルーメンスは冷静に判じた。
 この教師と生徒の合作オートマトン・ハイペリオンの動作を認識した瞬間から、内部ソフトウェアにありがちな問題が生じているのは、即座に理解していた――擬似筋肉への電圧調整情報解釈プロセスが、明らかにおかしい。ルーメンス程度の人形屋でも、中を確認せずとも挙動を見れば即座に分かる段階の問題だった。
 一言で断ずれば、ハイペリオンの各種動作は”ぎこちない”。
 まるでからくり人形にサイズが微妙に合わないギアを嵌めこんで、無理に動かしているかのようだ。歩み寄ってくる時に、がくり、と上下に大きく揺れることすらある。ドライヴシフト・トランスレイションの非同期的問題。
 思わず――近年の構築技法において、まことしやかに囁かれる『流行』――電圧調整プロセスに作為的なラグを混じらせることで、「オートマトンの非自然物的実在」を表現するとされる、テクニックなどと呼ばれるものが、ルーメンスの意識に浮上してしまう。
 反射的に、内心で首を横に振った――「不自然」にして、一体どうするというのだ。
 人形屋の常識中の常識――オートマトンの擬似筋肉は、外的発散における中核器官である。故に基礎行動段階に準じた精緻な流動性こそが最重要課題なのであって、その電荷モジュレーションに人為的な不具合を与えるなど、言語道断だ。挙動の美しさを損ねるばかりか、総体的な故障のリスクすら生じうる。
 馬鹿馬鹿しい――ルーメンスはこの『流行』とされる、一部の人形屋の態度に、否定的態度を有していた。
 そもそも、この緑色のネコ科動物型人形・ハイペリオンの不調は単なる調整ミスであって、流行に乗っかった意図的な構築でさえないのだが――。
 そう信じていたのが、間違いだった。

 まるで、心を読まれたかのようだった。
「このペリィの『がくがくする』のはねえ、みんなやってるんだよ」
 と、三つ編みの少女は、無邪気そのものの瞳で、ルーメンスを見つめて。
 続けた。
「……ええっとね、ジュール先生はね、こうした「不自然さ」が、これからのお人形さんの主流になるだろうって、いっつも言ってる。なんだっけ――えっと」
 ここで言葉を切って、誰かを真似るように低い声音で、
「『オートマトンは結局、『本物』には絶対になりえないから、実物再現を目指す時代は終わりつつあり、これからの人形屋は、不自然な動作を、意図的に構築するようになっていく』――んだって。わたしには、よくわからないけど――」
 少女は、ハイペリオンの躯体に歩み寄って、再びその顎を撫でながら。
 告げた。
「わたしは、ペリィが『ぎこちない動き』をするの、好きだなあ」
 妄念じみた、喧騒の残響が僅かにこだまする、ホールの床の上で。
 少女は、ハイペリオンの背を抱きしめた。もう二度と離さないかのように。
「だから」
 その、ほんの瞬く瞬間。
 ルーメンス・ライヴシフトは垣間見たような気がした――少女の瞳に湛えられた、オートマトンへと注がれる、強い慈愛の光を。
 ルーメンスが、いつか忘れてしまった、光を。
「だから、わたしが、もしこれから、ひとりでお人形さんを造ることがあったら、こうしようって、思う」
 ルーメンス・ライヴシフトと、名も知らぬ少女。
 ふたりは。
 この社会においては限りなく無関係で、それでいて、ふたりはどちらも、この展示会に来たハンドメイド・オートマトン・メイカーだ。
 輝かしいまでの静寂の光が、ふたりの間を、貫いていた。
「……そうか」
 少女の言葉は、その声音も表情も、やはり無邪気そのものだった。
 それが、劇毒だった。
「――わたしはね、『お人形さんがぎくしゃくする』のに、ずっと見慣れていたから、おじさんのかわいいオリオンを見て、すごく不思議だなあって思ったの」
 少女は、うふふっ、と笑って、ルーメンスが展示した、ルーメンスのオートマトン――白く丸い体のオリオンを振り仰いで。
「だって……オリオン、すごく動きがスムーズなんだもん。スムーズすぎるよ! ああいうの、わたし、あんまり見たことなくて。だから、”変わってるなあ”って思った」
 ルーメンスは。
 そうか、と繰り返して、小さく頷くと。
 ブロンドの三つ編みの少女にささやかな感謝と別れを告げて、再びブースの中央回廊へと、歩き出した。
 その歩調は確固としたようで、実に頼りない。
 ――まるで、肉体の中にあったすべての臓器と肉が、まるごと抜け去ってしまったかのように。

 目を凝らす必要すらなかった。
 再度、月例展示会に並ぶオートマトンたちを観察すれば。
 ルーメンスが意識にすまいと無意識に閉じ込めていた、ある事実が浮き彫りになる。
 多かれ、少なかれ。
 ――擬似筋肉の調整プロセスに『ぎこちなさ』を意図的に与えられているオートマトンは、今回の展示会の半数を超えていた。

 ルーメンス・ライヴシフトは思う。
 彼らは――かつての人形屋仲間たちは――どうしただろうか。
 遊び好きの富豪、人形構築の天才・フランツ兄妹は、『流行ってるから、面白そうだから』という理由で、安直に『ぎこちなさ』を導入しただろう。そしてやはり成功する。迷いなどせずに。
 若き修行僧を思わせるハロン・マーシュビッツは、自らの自動人形の『魂』なるものに奇怪な手法で詰問し、その返答に応じて導入の可否を速やかに決定していただろう。やはり、そこに迷いはない。
 旧時代的ドレスの婦人ミス・ハピネスであったら。是も非もない。絶対に取り入れない。彼女はある種の古風なオートマトン像の信奉者であり実行者でもあった。彼女も、迷いすらしないだろう。
 彼らには、それぞれの信念があった。
 彼らには、迷いがなかった。
 では、ルーメンスは。
 ルーメンスは。

 梟のナビゲーション・グラフィクスをコールし、人形屋の展示会からの外出およびオートマトンの展示終了に関する同意書に音声シグナルで応えて、ルーメンス・ライヴシフトはティアサイド・ホールを後にした。
 速やかな足取りだった。


5.


 わかっているのだ、このオートマトンがいかなる仕打ちを受けるか。
 わかっているのだ、このオートマトンに待ち受ける宿命を、結末を。



 日が明ける。
 日が暮れる。
 それでも、べつに、なにもない。



 ルーメンス・ライヴシフトが、ひどく古びた暗渠のようなレンタル・ガレージの端で、がちゃがちゃと騒々しい音を鳴らしながら、自らのハンドメイド・オートマトンの白い腹を開き、その内部機構をいじくりまわしている。
 彼は、それが、とても好きなはずなのに。
 煤と油と培養触媒に穢れた、その面持ちは。
 何故か、嘆かわしいような、
 何故か、困っているような、
 何故か――己が人生における致命的な過ちを、それが言わば浮遊するガスであるにもかかわらず、耐熱グローブに包まれた両手で、掴み取ろうとして、当然のごとくの失敗を繰り返しているような――奇怪なる悲嘆に、満ち満ちていた。
 彼は、それが、とても好きなはずなのに。
 好きだったはず、なのに。

 朝。
 白の擬似漆喰の壁に囲まれた、ひとつの部屋。
 サンライト・ベージュのカーテンが揺らぎ、乾いた陽光が、ダイニング・テーブルの椅子に腰掛けたルーメンス・ライヴシフトの姿を照らし出す。
 ルーメンス・ライヴシフトは動かない。
 不自然に斜めに傾いだ姿勢、生気の失せた表情、意思の光など欠片もない瞳。
 テーブルの上には、食べかけの合成食物と食器と雑用品とその残骸が散らばっている。床も同様だった。外の他の部屋も同様。
 だから、どうしたというのだ。
 ライヴシフトは、幸せの最中にあった。
 ライヴシフトは、無制の幻たちに取り囲まれていた。
 彼は、既にそれを解き放っていた。封は、とても単純で脆いものだった。破るのは、信じがたいほどに簡単だった。
 幻たち――それらは、視覚的実像に限りなく近い意識的虚像であり、それらは壁なき壁に反響する音であり、また優しく語りかける声でもあった。それらは現実を超えた現実的イデアであると同瞬間に、非現実的な異世界からこの世に現出した産物たちでもあった。それらは食せば味があり、嗅げば香りがあり、触れれば温度や高度や痛みを知覚できるものだった。それは、ライブシフトの認知する全空間を支配し、全時間を嚥下していた。
 ルーメンス・ライヴシフトの周囲にて。
 幻たちは、耳元に、囁いた――玉露の声音で。
 ――もう、いいんだよ。
 と。
 幻たちは、煌めき、瞬き、分離して、密度を無際限に増大させていった。
 幻たちは、不定形の触肢たちを優しく動かして――ライヴシフトを抱擁した。
 幻たちは、直にライヴシフトへと触れて、その皮膚を遠慮無くまさぐり、肉体の何もかもを、秩序めいた混沌たる内部へと取り込もうとする。組み込もうとする。
 もはや、ライヴシフトは抵抗などしない。
 一切の動きも声も表情もなく、すべてを幻に委ねて、埋もれてゆく。
 埋没して、ゆく。
 ルーメンス・ライヴシフトは、動かない。動くはずもない。
 彼は、幸せの最中にあるのだから。
 ふと。
 無限にさえ思える幻たちの間隙、その僅かな現実の視覚領域において――床の隅に捨てられた、ひとつの耐熱性グローブを彼は認識する。
 そのグローブは、ルーメンス・ライヴシフトという人間が、ハンドメイド・オートマトン構築において長年愛用したものだった。暗い焦痕と、落とせない穢れと、無数の細かい傷と、彼の感情に覆われていた、それを。
 彼は、まったく認識できなかった。
 夢想の大海が、知覚と記憶のすべてを、跡形もなく拭い去っていった。



 朝。
 白の擬似漆喰の壁に囲まれた、ひとつの部屋。
 サンライト・ベージュのカーテンが揺らぎ、登りつつある陽光が、ダイニング・テーブルの椅子に腰掛けた男の姿を照らし出している。



 ルーメンス・ライヴシフトは、いま、幻たちとともにある。


【完】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。