[しょうせつ]だからってあれさまはゆるさない

だからってあれさまはゆるさない

 残暑と夕陽がおどる。人気のない住宅街の、両脇を塀に囲まれたやけに狭くるしい道の上で、二人の人物が相対していた。高い影と低い影。
 少年がいる。やつれたシャツとスポーツバッグの高校生。他の要素を全て棚に上げて、不思議なほどに白い歯の目立つ奴だった。その外見的特徴は彼自身もよくわかっているし、さらにその理由も知っている。他が目立たない要素ばかりだから、白く整った歯ばかりが目立つのだ。だからってそれがどうした。ここでは彼のことを白歯と呼ぶことにする。
 白歯は困っていた。
 少女がいる。年齢は少年の半分程度だろう。背丈も半分程度。水色のシャツの上に子供用の軽いオーバーオールを身に着けて、背負う青いリュックサックは買ったばかりのものだった。彼女が何か行動する度に、小さな頭の後ろに下げた一対の三つ編みが揺れることを白歯はよく知っている。ここでは彼女のことを三つ編みリトルと呼ぶことにする。
 白歯が困っている理由は三つ編みリトルの言動だった。
 なにか、おかしいことを言い始めていた。

 ▼

「わたしは、途方もなくひどいことをやってしまいました。もうしません。二度としません。ごめんなさい、あれさま……なんとかさま」
「なんだよそれ。あれさまって」
「ごめんなさいもうしませんあれさまなんとかさま、ごめんなさい」
「あれさまって、あれだろ。神様っていいたいのか、おまえは」
「どうか、赦してくださいあれさま。罪深きこのわたくしめに、ほんの少しのご慈悲と愛を、あれさま……」
「……」

 ▼

 ――付き合ってられん。
 そう思った白歯は三つ編みリトルに背を向けながら、隣の塀の上に空き缶を放り投げる。炭酸ジュースのスチール缶は塀の頭に一度つまづいてから、その奥にある錆の塊のようなゴミ箱に潜り込んだ。
 勝手にしてなって。
 積乱雲を割り開くような夏の夕陽に向かって、白歯はゆっくりと歩き始めた。背中に三つ編みリトルを置いて。
 ――別に置いたってどうってことはない。なんとかなる。子供は気が変わりやすいものだから。どうせ、すぐにまた今朝のように騒ぎ笑い始めるのだ。人の迷惑も知らないで自分ばかりで楽しんで。向かう先も、角を曲がってすぐそこの同じ建物なんだから、ひとりでもだいじょうぶだろ。べつに。落ち込んでたってなんだというんだ。だってほら、子供はすぐに気が変わるから。
 六秒後に白歯側の気が変わった。
 歩みが止まる。
 耳に入る。
 三つ編みリトルが泣いている。橙色の日差しに包まれて、小さな影が泣き始めていた。くすん、くすん。鼻息。湿っぽい音。
 背中をまるめている。三つ編みがわずかに揺れている。
「くっそ」
 ごく小さく絶叫しながら、白歯は踵を返して歩み寄る。三つ編みリトルはやはり泣いていた。さめざめと。泣き続けている。なにもそんなに泣かなくてもいいのにってくらいに泣いている。
「……泣くな。わあったから、泣くな」
 白歯が声をかけても、くるりと振り返ったりはしない。背中をまるめて、頭を前に倒したまま、三つ編みリトルは泣いている。ぶるぶると震えながら。しゃっくりを上げて。
 何かを言った。
「え、なに」
 三つ編みリトルが繰り返す。今度は言っていることが分かった。
「……だって、あれさまが……まだ……」
 呆れ返りそうになる。
「だから、それはもういいって。なんだかしらねえけどさ、帰るぞ、さっさと」
 小さな肩を、とんとん、と手のひらで叩く。
 こちらの考えはわかっているらしい。鼻をすすりながら、三つ編みリトルはのそのそと靴を動かしはじめた。頭の角度を下げたまま。
 どうにもうまくいかない。白歯は口を尖らせた。
「……ったく」
 胸糞の悪さと居心地の悪さが、仲良く回転木馬に乗っている。木馬の速度は悲しいくらいに遅かった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……!」
 陽の沈む方向への歩みを再開した三つ編みリトルを横目に、隣を行く白歯は両手を後頭部に回す。ふうああ、と声を出して、ぬるくけだるい空気を肺から吐き出した。
 残暑と夕陽がおどる。
 木馬がけだるく回る。

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