亡骸<なきがら>

 亡骸<なきがら> 作:ムノニアJ

 

 彼には、理由がなかった。
 それが、理由だった。
 だからこそ、ただひとつの欲動は、彼が身を底深く焦がした。

 ――おれは、「理由なき徒」ではない。

 あまりにも単純な、ただそれだけの結論を、彼は厳然たる確信をもってして、この世の地表に堂々と穿ちたかった。そして世界のすべての空を揺らす大音声で、猛然と叫びたかった。それは抑え難く耐え難い衝動であった。彼は自らの不理由性の矛盾を証明せんがために、あるいは、その証明不能を反証せんがために、休息と永久の縁切りを果たした。一種の欺瞞的歪曲に充ち満ちた不断は、やがて彼の生命そのものと融合し、遂には等価となった。
 しかし彼の行為の何もかもは、虚しくも、無為無益の徒労として落着した。彼の力は着実に増幅し、過剰なまでに肥大化していたが、それでもあらゆる試みにおいて、耐え難く無惨な失敗を幾度となく遂げていったのだ。時にそれは必然にさえ思える程であった。彼は「自らの理由の欠如」という仮想的属性を対象として、首尾徹底たる探求を繰り返し、真心によって対面し、時に深く抱擁したかと思えば、あらん限りの罵倒を延々と浴びせかけた。あまりにも永い繰り返しだった。彼の手によって正確無比に投げ放たれた苦闘の雪玉たちは、それでもなお、無意味の壁にひたすら打ち砕かれて、惨めな残滓を晒しながら融け去っていった。ついには、招かれざる客――疲弊が、戸を叩き始めた。
 そして「理由」は、彼の雪玉のすべてが完全に融け切った瞬間を、そして彼がその肺臓そのものを底深く昏い吐息へと替え、最後の呼吸をついに遂げた瞬間を、まるで獰猛な悪意をもって狙いすましたかのように、その眼前へと現出したのであった。彼はまず、己が認識を疑った。理解を疑った。観念を疑った。「理由」などと呼称されるものは、常としてまず疑念の視線で直視される宿命にあるのかもしれない。あるいは、度重なる徒労感と敗走の追憶に、直視しがたい程の被虐的疑念が彼の心身にその根を張り詰めていたのか。
 疑念を疑念で掬い洗ってなお、「理由」は、首尾一貫した燦然たる輝きをもってして、彼の前に存在していた。
 それは、純然たるもの、だった。
 彼の「理由」を追い求める旅路は、著しい貪欲と傲慢の為せる業であった。彼は相対性を忌避する絶対者であった。彼の業は、世における彼以外のあらゆるものを飲み込み、自らにとっての最適な構成素子へと還元していた。同時に、彼はすべてを孕んだが故にまた、終わりなき混沌の坩堝と化していた。「理由」の獲得の為ならば、彼は自らが不可逆的無秩序と化すことさえもまったく厭わなかった。そうして、彼は地獄だった。
 純然たるもの。
 見落としていたのは、至極道理と言えよう。
 当然のことながら、彼はほとんど本能的な衝動より、それに向けて手を伸ばそうとした。遂に相対した「理由」に、指先で触れて、掌で掴み取り、腕を曲げて牽引し、牙をもって喰らい、我がものへと換えようと試みた。だが彼も、もはや半ば理解していたのだ。もはやその存在は、自らの手にかけることなど、いかなる道程を経ても絶対に叶わぬものであるという真実を。そう、もはや自らの肉体と精神が「純然たる」ことなど、二度とあり得ないのだという因果を。彼はその存在価値を全面的に「理由」の獲得に捧げたが故に、その「理由」を永遠に見失ってしまったのだ……。彼は驚愕し、狼狽し、焦燥すると、ついには嚇怒した。だがそれらすべての前に、彼は著しく疲れ切っていた。探求に身を費やした当然の結末としての徹底的消耗は、他の精神的諸活動に実にあっさりと打ち勝った。彼の姿は、もはや枯れ木とすら言えなかった。指どころか、眼筋の一本動かすことさえも叶わぬ、疲弊の化身。
 「理由」の姿を眼に焼き付けようとしたが、その試みすらも濁った暗闇に阻まれて、彼は転落して倒れ伏した。

 ――おれは、「理由なき徒」だったのか?

 彼は、答えを、掴み損ねた。
 彼は、純然たるもの、に、なれなかった。
 彼は、理由なき者として生まれ、理由なき者として生き、理由なき者として、死んだ。

 

 ひとつの、微かな亡骸を前にして。
 純然たるものは、その場に膝を崩し、両手を顔に当てがうと。
 哀しげな啜り声を上げて、ついには泣き出してしまった。

 <完>

 

 

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