プロローグ The Related – つながれたもの

『惑星開発姉弟(わくせいかいはつきょうだい)のクリスマス』
                      作 ムノニアJ

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 プロローグ The Related – つながれたもの


 
 
 
 どうしてなのだろう。
 幼少の記憶の中で、もっとも強く覚えている光景は、紅い陽の差す谷底にふと映えた、父さんの長い影のかたちだ。
 
 
 
 ◆

 

 ――ここからは、歩いていこう。

 その日の『探検』は、普段のそれとは若干趣きを異にしていた。父さんに明言されずとも、ぼくは自然とその気配を悟っていたのだと思う。
 当時六歳のぼくは、背丈も体重も、現在の半分ほどしかなかった。同年代の平均値に比べても身の丈の小さい、痩せ型の子どもだった。加えて、背負い鞄や腰のスリング・ベルトに括りつけられた各種の道具群にはかなりの質量があり、荒野を進むぼくの歩調を確実に停滞させていた。
 その量の荷物をぼくに渡したのは、眼前で大地を黙々と歩み続けている、背の高いぼくの父さんに他ならない。
 けれども、父さんという人間が、ぼくの力量や意思というものを、無視していたわけでは決してなかった――ということは、ここではっきりと示しておきたい。
 父さんは、ぼくという自らよりも小さな存在を、旅行をともにするひとりの『人間』として、極めて深く尊重していた。ぼくの身体の大きさやその体力の許容量を十分に踏まえた上で、ぼくの力や技術でも扱えるものを揃えた「一人分の道具」を吟味して、ぼくに貸し与えていたのだ。
 また、父さんはしばしば自宅の広間で、それらの旅道具の意義や使用法を、ぼくにもわかる語彙と実践で丁寧に教えてくれた。
 自律発光ランタン、無酸素着火点石(ファイア・スターター)、緊急用シグナル・バーストと追跡装置(トラクター)、ユニークな無電源食糧の三日分、フィールド・モジュール用複合電池――もう完全には思い出せないが、あの道具の組み合わせは、確かによく考えられていたと今になっても感心する。
 それは、探索中に万が一の事態が発生して、探検中にぼくと父さんがはぐれてしまうようなことがあっても、不毛の荒野の中で、ぼくが可能な限り生存率を高めることができる、サバイバル・キットのパッケージだったのだ。
 父さんは、ぼくの精神と命を、極めて尊重していた。

 遮るもののない陽の光が、紅く平坦な地表に、余すところなく降り注いでいた。
 ぼくと父さんが歩みを進めていたのは、街から遠く離れた大地の一角だ。
 一見すれば、あまりにも、見慣れた光景。
 深い色彩の紅い大地の上に、それよりもやや明るい朱色の空が覆って、見渡す限りの視界をひたすらに占めている――この辺境の惑星ナピにおける、ごくありふれた原野の景色だった。
 それでも、従来に見たことのない周囲の山並みのシルエットや、ここまでの移動手段であるホバー・システムの後部座席で暖かな風に吹かれていた時間の長さから、今回がこれまででもっとも街から離れた『探検』であることを、ナピの子であるぼくは直感的に理解していた。
 ふいに、ぼくの名が呼ばれた。
 そして肩に、暖かく大きなものが乗せられた。
 父さんの手のひらだった。
 荷物を全身に抱えて歩くことばかりに専心していたぼくは、すぐ隣に父さんが立っていたことに、そこでようやく気がついた。首を持ち上げて、ぼくはその顔を見ようとした。
 ぼくの父さんは、街の大型作業機械群のエンジニアリング・チーフの職に長年従事していた。作業機械の総体的な管理と配置、設定やメンテナンスの総括が主な業務で、修理のために全長五十メートルを超える作業機械の背を平然と登っていく光景を目にしたこともある。ナピの街に住む大人たちの中でもとりわけ大柄で、全身に必要十分な筋肉をまとった、頑健さを絵に描いたような肉体の持ち主だった。
 それに併せて、家族としてのひいきを抜きにして、人物も健全だった。父さんの顔貌としてすぐに思い描けるもののひとつは、日焼けした太い首の上で、心の奥底に秘めた穏やかな自信とでも言うべきものを、口元に驕りのない笑みとして浮かべる、精悍な顔立ちだ。物腰は常に柔和で人当たりがよく、街の誰からも好かれていた。少なくとも、当時のぼくにはそう見えた。
 あの容姿を思い出す度に、ぼくはつい自嘲してしまう――体格も性質も、ぼくは父さんにほとんど似ることはなかった。父さんの遺伝的形質をより多く受け継いだ子は、どちらかといえば、もうひとりの方なのだろう。

 ――着いたぞ。
 ナピの太陽がつくる、強烈な陰影。
 その陰の内側で、父さんの歯の白さが際立った。
 前述のとおり、街の大人たちと比べても大柄な人物だった。同年代と比べても身体的成長の速くなかった六歳のぼくにとっては、隣にいる父さんの顔は、ものすごく高い場所にあった。実際、手を伸ばしても届かなかった。
 そして父さんのよく通る声を聞いて、やっとぼくは理解した――父さんの右手が、まっすぐ前方へと向けられていることに。
 示された先に、おずおずと視線を転じた。
 見えたのは、崖だった。
 ぼくと父さんの前方には、いつのまにかひとつの広大な谷が現れていたのだ。
 周囲の大地を見渡す。
 本当に巨大な、見るだけでも恐ろしいほどの渓谷だった。
 崖の先を凝視しても、突端がまるでわからないほどの長さだ。切り立った崖と向こう側のそれの間も非常に広く、『あちら側』の同高度の大地は、岩肌の上に僅かに見えるのみだった。そしてその間隙には、ぞっとするほどの深さが待ち受けている。
 ここまでの谷を見るのは、ぼくには初めてのことだった。
 ぼくの立つ、茫漠とした惑星ナピの荒野。そのある地点において、紅い地表をまるで何者かに故意に分割されたかのような――稲妻にも似た形状の、言わば大地のクレバスが生成されていたのだ。
 ――どうしても、お前にここを見せたくてな。
 雄大な谷間の暗い奥底に向けて、じっと視線を注ぐことしかできなかったぼくに向けて、優しく微笑みかけると、父さんは再び歩き始めた。
 見慣れぬ光景に、怖気づいていたぼくに、
 ――この先に、ちょうど歩いて降りられるところがある。ここからは、俺も初めてだ。
 と、父さんは伝えた。

 ぼくたち父子は、大地に開いた巨大亀裂の底に開いた、崖下の大地へと徒歩で降りていった。
 ナピの太陽の赤光を背に浴びながら、荒野の風を全身に感じながら、そして腰のスリング・ベルトに付帯されたネクタル・フィールド・モジュールの庇護を受けながら、ぼくと父さんは、崖の脇に造られた天然の坂道を慎重に進んだ。
 地表から二十メートルほど降りた先にある崖下の空間は、思っていたよりもずっと広く平たい空間になっていて、そして何よりも明るかった。
 谷の上から見る限りでは、陰に覆い尽くされて暗闇しかなかったように思えたのに、目が慣れたからか、あるいはナピの強烈な太陽光がうまく入り込んでいるのか――場所によっては、地表ほどに視界が明瞭なのだ。
 崖下の広場は、すなわち大地に開いた亀裂の底面にあたる。もちろん、ふたつの巨大な壁――崖に挟まれた格好になるのだけれども、元々の谷間全体がとても大きいために、地の底とは思えないほど余裕のある空間に思えた。父さんを見る限り、大人が十数人横に並んで歩いても窮屈ではなさそうだった。
 そしてぼくたちは、例の『洞穴(どうけつ)』を、初めて発見したのだ。
 洞穴は、崖下の隅にその入口をぽっかりと開けていた。縦に細長い逆三角形の進入口は、ぼくたちふたりが並んで入れる程度の広さに見えた。
 入口を覆う闇のヴェールを前にして、ぼくと父さんは並び立った。
 ――これは、珍しいな。
 洞穴を見つめながら、父さんは満足げに呟いた。
 それに対して、紅い岩の壁に覆われた洞穴を眼前に、当時のぼくが初めて感じたのは、更なる冒険への探究心でも、その奥底の闇に対する恐怖でもなく、ある漠然とした不可解さだった。他にはひとつも見られないのに、崖下のその場所にだけ、ある種の唐突さをもってして、その洞穴が存在しているように思えたのだ。
 呆然と佇んでいるばかりのぼくに、父さんが入口のある一点を手で指しながら、説明してくれた。
 ――ここを、よく見てみるんだ。ふたつの大きな岩盤が、今は接合してひとつのように振る舞っているが……もっと遙か下の地殻変動の影響で、その隙間に穴が生まれたんだな。幸運なことに、こうして崖の底面に露出した。……どれほど経った地層だろうか。風化の影響もあるかもしれん。
 父さんの話は、当時のぼくには少し難しかったけどれも、半分は理解できたと思うので頷きかけると、既にぼくの見る表情は、洞穴の探検に浮き足立っているように思えた。
 もうお気づきかもしれないが、ぼくの父さんという人物は、こうした大きな地形生成物の実地探検をよく好んだ。少なくとも、六歳の息子に探索の一通りを教えて、装備を与えて、連れてきてしまうくらいには。
 とはいえ、そのぼくはぼくで、数ヶ月に一度の頻度で父さんと一緒に行う『探検』を、普段から楽しみにしていた。
 そして、こうした機会だけは――普段の沈着さから遠のいて、少しだけ子どもっぽい熱気を帯びて話す父さんの姿が、ぼくは好きだったのだ。

 崖下の意外な明るさから一転して、洞穴は底深い闇に満ちていた。
 自律発光ランタンのノズルを回して首に掛けて、足の踏み場を慎重に選びつつ、壁に手を付けながら、ぼくたちは未知の世界を着実に進んでいった。
 やがて判明した洞穴の正体は、決して長大なものではなかったけれども、当時のぼくにとってはやはり驚きに満ちた探検だった。
 進入口の辺りはかなり狭い。しかし数メートルまっすぐに進んでいくと、やや広い空間に到着する。その細長いエリアを更に奥に行けば、すぐに最深部に到着する、という全体像だった。全長は十五メートルほどだ。
 分岐や大穴などはない、ごく単純な構造の洞穴だった。
 しかしその最深部で、ぼくと父さんは、決定的な『あるもの』を発見したのだ。

 ぼくたちの生きる銀河系辺境の惑星・ナピの大地は、そのほぼ百%が酸化金属の紅色で満ちている。その原則は、ぼくたちが降り立った崖下の空間、および洞穴においても徹底されていた。
 しかし、ぼくたちの辿り着いた洞穴の最深部の壁面を構成する、あるひとつの岩盤は、その珍しい例外だったのだ。
 初め、訝しんた父さんがバッグから出した指向性ライトを浴びせた直後。
 ぼくたちはまず、その大きさに驚かされた。
 青色の帯が、そこにあった。
 天井の岩盤から地面近くにかけて、大人の胴体ほどの太さの直線を描き、美しい群青の色彩が、縦にまっすぐ走っていたのだ。
 ハンディ・ライトの輝きを浴びて、少しだけ発光しているようにさえ見えた。
 原則的に紅色の岩石しか存在しない、このナピという世界において、まったく異質の自然物だった。
 その姿は、まるで――。

 ――これは、『ナピの静脈』だな。
 『静脈』の姿がより明瞭に見えるように、出力を上げた自律発光ランタンを地面に置いてから。
 ぼくの隣に立つ父さんの巨体は、普段の落ち着き払ったそれよりも、やはり熱っぽさを上乗せした声音で、断言した。
 それからしばらくの間、父さんは沈黙した。
 まるで心を奪われてしまったかのように、洞穴の深部に突如現れた群青色の岩――『ナピの静脈』――その表面に、手のひらを乗せて、押し黙ったのだ。
 ランタンの灯りの中で。
 ふと見上げると、闇の中でうつむいた父さんの顔は。
 一見、平静としていて――しかしよく見ると。どこか苦しそうな面持ちを浮かべて、目を閉じていた。
 どれだけの時間そうしていたのかは、あまり思い出せない。
 やがて、傍らのぼくを見やると。
 父さんは、ぼくの本名を呼んで、告げた。
 ――この間、街の植物園でナズナの葉を見た時に、葉脈があっただろう? あれが、植物の血管だよ。ナピのような惑星でさえも、奥の方に潜ってみると、こうして血が流れているわけだな。

 ……そして、もちろん、俺たち人間にも。

 一度、言葉を止めてから。
 父さんは、洞穴の空気を深く吸った。
 あまりにも、深く、長い、呼吸だった。
 今から思えば、明らかに異常な瞬間だったのだと思う。
 ――話の続きを、息子に繰り出すか、否か。
 その瞬間、父さんが迷っているように感じられたのは、ぼくの思い込みだったのだろうか?
 今でさえも、この点については、よくわからないでいる。
 ともあれ、父さんは話すことを選んだのだ。
 十年以上が経っても、ぼくの記憶の底に不可解な感触を沈殿させている、一連の言葉を。

 ――いいか、ここからが、大切だ。一度しか、言わないぞ。
 その時のぼくは、洞穴の暗闇の中で、地に置いたランタンの灯りに半分だけ照らされた父さんの顔を、目を凝らして見つめてしまっていたように思う。
 その内部に現出した、あるひとつの変化を、あの時期の子どもらしい鋭敏さで、ぼくは確かに感じ取っていたからだ。

 ――俺たちの血は、いついかなる時さえも、『鎖』を含んでいる。

 そう、父さんは、断言した。
 ぼくがこの幼き日の光景をはっきりと覚えているのは、もちろんそれが心躍る遠出における唐突な『変転』であったという理由もあったけれども、他のどんな時よりも饒舌な父さんの姿を見たからでもあったと思う。
 どうか、勘違いしないで欲しい。ぼくの父さんという人物の普段は、一般的な科学の原理を信じ、合理的思考に基づいて行動を決定する、ありふれた現代の人物だった。
 あの時、崖下の洞穴の奥底で、『ナピの静脈』を前にして、独りごちたような声音でぼくに数奇な話を説いた父さんは、明らかに通常の状態ではなかったのだ。実際、父さんがこのような言葉をぼくに聞かせたことは、ぼくの記憶の限り、後にも先にもない。
 しかし、だからといって、ぼくにはその時の父さんが垣間見せた暗い姿が、悪意のない冗談や、その場の気分による突発的なものだとは、とても思えなかったのだ。
 今になってから、この光景を想起して理解できるのは、その奇妙かつ不可解な一連の話は、父さんが隠しがちな自らのバックボーンに抱えていた、ある種の神秘的信仰体系から、零れ落ちるように現出した残滓だったのであろう、ということだ。

 ――それは、地球から始まっているんだ。
 ――おれたち人類は、はるか遠い昔に、地球の大地の底から生まれ出た。その全身にまとわりついた『血の鎖』は、生まれたところと繋がって、ふたつを強く、とても強く、縛りつけている。
 ――それは計り知れないほどに強靱で、永遠に切れることのない力だ。そいつに対しては、人間如きの意思や智恵なんてものは、どうしようもなく無力なんだ。
 ――だから。
 ――故郷から離れて、このナピのような銀河の隅まで人間が散らばった今でさえも、おれたちがその肉体に抱える血の鎖たちは、おれたちの故郷である地球の大地へと、決して途切れることなく、繋がっている。

 ぼくはその時に抱いた、絶望に似た不安感を、とてもよく覚えている。
 もはや場違いに思えるほど、父さんの言葉と表情は、変貌していた。父さんは、ぼくにはまず見せなかった底深い真剣さを、その声と顔に存分に滲ませていた。
 そしてその真剣さの根底に、幼きぼくは、ひとつの暗い影を垣間見たのだ。
 闇の洞穴の奥底で、父さんは壁面の『ナピの静脈』を見つめながら、隣のぼくなどまるで構わないかのように、言葉を続けた。

 ――いいか。
 ――持って生まれた血の鎖からは、どれだけ遠く離れても、この銀河系を超えて、外宇宙に飛び出していってさえも。
 ――絶対に、逃れることはできないんだ。

 そして、大きく息をついて。
 打って変わったかのように、とても小さな、今すぐにでも、掠れて消えてしまいそうな声で。
 父さんは、繰り返した。

 ――逃れることは、できない。決して――。

 それからの、数呼吸分の、沈黙は。
 ぼくたちが共有した、もっとも暗く深い、地の底の沈黙だ。
 ……そして、まるで夢から覚めたかのように、父さんは唐突に動きだした。ぼくの小さな体を、あっさりと両手で抱きかかえたのだ。父さんの腕力をもってすれば、当時六歳のぼくの体重など問題にもならない。足が地面から離れて、重力から放り出されるような感覚。
 父さんの彫りの深い顔立ちが、ぼくの目の前に現れた。
 そしてようやく、ぼくは安心した。
 普段の朗らかで優しい笑みが、父さんの顔に戻っていたから。
 父さんは、ぼくを『ナピの静脈』の壁面までぐっと掲げると。
 ぼくの本名を呼んで。
 笑いながら、こう締めくくった。

 ――だから、自分の血の鎖を、大切にするんだぞ。

 

 ◆

 

 父さんとぼくは、とても仲のいい家族だった。

 ぼくは、父さんの存在がいつだって自慢だった。
 力持ちで、優しくて、頭が良くて、物知りで、街の外への探検に連れて行ってくれて、故郷や旅で知った遊びの数々を教えてくれて、おいしい料理を振る舞ってくれて、仕事が上手で、街中の誰からも頼られて、それらにすべて応えていた。
 なによりも。
 ぼくにとっては、たったひとりの家族だった。
 たったひとりでも、それで十分だった。
 父さんは、ぼくという人間における、『もう半分』だったのだと思う。
 大いなる道しるべであり、模範であり、希望でもあった。
 宇宙の辺境という、時に過酷なこの世界を生きるにおいてさえ。
 人がその生を生きていくのにおける、不安や恐怖や絶望などは、まるで存在しないようにさえ、幼いぼくには思えていたのだ。
 父さんという、もっとも身近な大人が、ぼくのそばに立っていて。
 いつでも、充たされて、強く生きていたから。
 大地に明瞭な影を投げかける、広々とした背。
 ぼくにとっての父さんは、ナピの紅い大地に大きな足跡を遺しながら歩き続ける、一体の大いなる巨人だったのだ。

 

 ◆

 

 その父さんは、崖下の探検のちょうど十年後に、人生にひどくつまずいて、頭をおかしくして、自ら命を絶った。

 

 ◆

 

 そして更に、父さんの死から三年が経った、今。
 ぼくは、この崖下の空間へと、はじめて戻ってきたのだ。
 
 
 

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